Yokohama Insideout

2019/06/09

磯子区暗渠リベンジその2禅馬川

(追記:フィールドワークは2019年の4月末〜5月初GW中の時期になる。工事の状況については、その点に留意されたい。)

リベンジ中の磯子区暗渠。今回は禅馬川中流域を。
(前回のフィールドワークは16号沿いの下流域を。トークイベントで話した内容の場所になる)

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横浜市磯子区岡村?

こんな橋跡がいくつか残っている、非常に素敵な暗渠のはずだったのだが…

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写真は下流側に向かっているもの。すぐそばに工事の件名板。暗渠を下水道管化する工事らしく、暗渠は風前の灯火状態に。
昨年度まではもっと下流側で工事がされていたようで、橋跡がふたつ消滅しているのを確認(遊歩道は維持)。いつまでもあると思うな暗渠なんですねぇ。
工事の概要を確認したところ、この橋の上流側まで工事がなされる模様。この橋も消滅するのでしょうね…

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橋の名前は竹の橋。この銘板も素敵ね。

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工事予定になっていた上流端。鉄蓋、護岸や階段から暗渠であることは一目瞭然。
道の形がいかにも川の跡らしい自然なカーブなのも注目すべきところ。

そしてこの写真の左側のところに注目して欲しい。なにか見えないだろうか。

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『きれいな河川すみよいよこはま』と書かれた標語柱(とでもいえばいいのか)が!
(他の面には『《市章》河川にごみや汚物をすてないでください」、『みんなで河川をみまもりましょう』もう一面は確認忘れ)
いやあ、こんな暗渠サインが残っているなんて!見つけたときはちょっと感動で打ち震えましたよw

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この写真は最初の橋よりも下流の場所。(下流方向を眺めている)
写真右側の道が禅馬川の流路。このあたりは暗渠サインは残っていない。

一番のアレは、正面のお惣菜岡本。揚げ物屋さん。この日はお休みだったが、普段は営業している。
この店、もう10年以上も前にこのあたりを散歩して見つけた店でした。この店が暗渠のそばにあったことになにか因縁を感じましたよw
昔から、散歩のいい感しているじゃん、俺なんてw

さらに下流側には、

#横浜暗渠散歩 暗渠のそばに製餡所って、本当にあるのねぇ。

暗渠サインのひとつとして教えて頂いた製餡所が!(厳密には暗渠からわずかに離れている)
こういうのがあるから、街をフラフラと歩くのをやめられないのだよね…

別の日に磯子周辺の史料を漁っていたら、この禅馬川沿いで面白いアレコレを発見。
トークイベントで話した内容と、そのあとの調査をまとめてZINEでも出せないかなぁ…なんて考えています。

2019/04/20

滝の川境橋を下流側から眺めると

滝の川の境橋を下流側から。合流地点なのは知っていたが、もともとはどんな構造になっていたのやら。無理矢理感が強い。 #横浜暗渠散歩

滝の川の境橋を下流側から。ふたつの川(滝の川と通称?・反町川)の合流地点なのは知っていたが、もともとはどんな構造になっていたのやら。無理矢理感が強い。右側はあとからボックスカルバートに作り替えたのかな?

2019/04/18

横浜的

横浜的、な。
iPhone8、横浜市保土ヶ谷区

極めて横浜的な風景だと思うのだがどうだろう?

崖地の宅地開発。高い擁壁。地下式のガレージ。歳を取ったら上り下りに苦労しそうな階段。定型ではない土地の形状…

2018/12/31

大岡川支流別所川の暗渠サイン


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横浜市南区別所あたりを水源に大岡川(弘明寺商店街近く)に流れ込む別所川(暗渠)。
その川に架かっていた橋の欄干が残っているということで、酔狂にも大晦日に探しに。

かわくぼばし(おそらく、川久保橋)。下流側は公園と消防団詰所に転用。
知らぬ場所でもないのだが、こんなところに暗渠サインがあったのだなぁ。


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親柱にはちゃんと「かわくぼはし」の文字が。(反対側には、築造年が書かれているようだが、文字が判明できず)


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児童公園。その下流側には道路を挟んで近年再整備されたらしい公園も。(写真ではみえない)


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児童公園を反対側から。左側の車止めが公園の入口。右側には消防団詰所。(いかにも暗渠という雰囲気)

別所川自体も面白そうだし、いくつかある南区の大岡川左岸支流も興味深い物が多い印象。来年はじっくりフィールドワークしたいかな。

2018/12/30

反町公園の震災復興橋梁


Photo Embed by Google Photos 横浜市神奈川区・反町公園、iPhone8

横浜市神奈川区、反町公園を流れる滝の川の境橋橋梁。上流側は暗渠(写真にも暗渠が写っている)、下流部は開渠となっている。

久しぶりにこの橋を訪れたら、気がついたこと。橋の銘板。

Photo Embed by Google Photos 横浜市神奈川区・反町公園、iPhone8

『昭和二年九月 復興局建造』の文字、やはり震災復興橋梁なんだなぁ、と。

震災復興橋について調べたWebはいくらでも見つけられるけれども、こういうのは実際に見るのには敵わないな。

2018/07/26

トークイベント「はじめての横浜暗渠散歩」@試聴室その3 終了しました!

7月21日に横浜の試聴室その3で開催されたトークイベント『~暗渠のそばに歴史あり。暗渠のそばに酒場あり。はま太郎・猫綱・暗渠マニアックスとめぐる…~はじめての横浜暗渠散歩』が無事に終了いたしました。
ご来場の皆様、会場となりました試聴室その3の皆様、会場準備と運営にご尽力頂いた星羊社さま、今回の企画の提案者(にしてメイン登壇者)の暗渠マニアックの吉村さま・高山さまに深く深く御礼申し上げます。

企画の経緯は、高山さんのブログ星羊社のサイトで説明されているので、割愛します。
が、セッティングだけで、後は当日の受付でも…と考えていた自分にまさかの登壇依頼があるとは!
(星羊社さんと暗渠マニアックのお二人を引き合わせた時点で、自分の仕事は、ほぼほぼ終わったと思っていたのになぁ…)

ここから深い悩みが始まったのです。

暗渠は好きだが、そこまで研究しているわけでも無い自分。いわば、雰囲気暗渠趣味者。
そんな自分が語れるテーマなんてあるのか…と、悩みました。
直近で、散歩がてらフィールドワークした磯子の暗渠群をテーマにすることにしたものの…
同じテーマで某横浜系サイトに記事があることを、テーマ決定後に発見。一時弱気になったものの、暗渠サインに拘ることで切り口を変えられると思い、突き進むことに。
暗渠サインと(他のメンバーはあまりしないと想像して)地形的な話の二本立てを考えたものの、地形の話が相当難しい。咀嚼できたとは思うが、俺が説明するとノイズが多いような気がして断念。暗渠サインのみで行くことにしたのだが…。
開催の一週間前の打ち合わせで、他の登壇者のスライドをざっくり鑑賞させて頂くと、そのクオリティに青ざめる。やばいよ…俺。どうする?俺?。
それに加えて自宅でトークの練習をすると、あまりにも時間が持たない。どうやっても15分程度で終わってしまう。再び頭を抱える俺。どうする、俺?
それで、思いついたのが。古い地図を加えて川の流れを明示するとともに、路上観察や地誌・地理的なことを加えていく(市電、区役所、水族館、養魚場、埋立による改変、都市形成史、路上観察的なことなど)手法。当日は結構省いたことも多かったけれど、それでも時間を若干オーバーしたぐらいには纏めることができた…かな。

でも、お客様に助けられたなぁ。バスの系統を訊いたりしてすぐに反応があるのがうれしかった(アドリブも結構飛び出していたしw)。でも、一番のポイントは「川界」の境界標。これは小田原在住のOさんに感謝。

自分があがり症だとか、プレゼンの出来がアレとか、声が震えていたとかをすっ飛ばして、お客様の反応に引っ張られたような気がします。結果、ちょっと愉しんでいた自分がいたことに、あとから気がつきました。結果、愉しんでいたんですよ、俺w。

心から信頼する友人の感想からの敷衍ですが、これからも好きなものを一途に愚直に追いかけていこうと思います。そしてそれを言葉にしていこうと改めて思いました。

本当にありがとうございました。そして、次回は?の声にちょっぴり反応してしている自分に、驚いています。次回…、あるのかなw?どうなることやらw

当日のTwitterまとめがアップされています。感謝。雰囲気が伝わるかな。

2015/09/16

本町交番前の赤レンガ?:結論

本町交番前の赤レンガ。以前二度ほど取り上げた事がありました。(

以前そこにあったバーの壁とご指摘を頂きましたが、バーの壁なら保存するわけがない。なにかあるのだろうと思っていたら…。

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なにやら写真が!

前回はなかった銘板に文字が!

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開通合名会社(日本人商社)の煉瓦遺構

この遺構は、明治時代に立てられたと推定される開通合名会社の社屋の一部であると考えられています。建物は、大正12年(1923年)9月1日に起きた関東大震災で大部分が倒壊しましたが、その一部が震災後の復興建築の内部に奇跡的に残されていました
平成26年(2014年)、建物の解体時に発掘されたこの遺構は、所有者の意向により、横浜管内地域の日本人商社建築の記録と、関東打診祭の記憶を現在に伝える貴重な歴史的遺産として現地に保存される事になりました。

開通合名会社は横浜港から陸揚げされる貨物の通関・発送取扱業務を営んでいた商社であった。大蔵省で税関貨物の取扱事務の経験を積んだ服部敢(はっとりかん)により、明治10年(1877年)1月に創立された「開通社」の社名を明治24年(1891年)「開通合名会社」に改名。
当地にあった社屋は、レンガと石を組み合わせた外壁を有し、屋根は瓦葺きで建物の両側面にはうだつ(防火壁)を備えていた。この遺構は左の写真の1階中央部分の出入口の右側の窓部分及び右側側面の壁の一部であると考えられる。写真は明治38年(1905年)頃のものと推定されている。

(以下略)

煉瓦に瓦屋根、そしてうだつとは!面白いなぁ!

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当時の社屋の様子。って写真が残っているのね!

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関東大震災直後と大正末期の街並み写真。

いやあ、こういうのは面白いね。横浜の街並み保存系では久々のヒットではないだろうか。

久々に働いた路上観察系のアンテナ。こういう感覚を大切にしていきたいね。

2015/01/19

見るも無惨。(旧三井物産横浜支店生糸倉庫)

今日の日東倉庫(三井物産横浜支店倉庫)

無惨なり。あっという間の解体作業。
記録や部材保存はされたのかな。ちょっと心配。

2015/01/18

本町交番前の赤レンガ?その後。

以前、本町交番前の赤レンガ?という記事で書いた。煉瓦壁のその後。

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以前はこんな状態。ブログにアップ後、取り壊されたバーの壁という話を聞いていたのですが、今日覗いてみたら…

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あれ?整備されている??

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なかは駐車場の模様。そして、外壁は鉄骨で補強され、磨りガラス?で目隠しされている。

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通り側には案内板(説明板)の基台みたいなものも設置されているし、やっぱり古い建物の遺構なのかな?

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詳細がわかるといいなぁ。そして、古いものなら保存されて欲しい。
…続報を待て!(あるのかな?あるといいなぁ)

2014/12/28

旧三井物産横浜支店生糸倉庫

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解体反対の声が上がるなか、解体工事が始まってしまった生糸倉庫。
建築史的にも重要な物だし、なにより港町・横浜の風景の一部。
加えて、日本のシルクロードの到着点でもある横浜の記憶のひとつ。

解体して普通のオフィスビルになってしまうなら、横浜はただの地方都市に落ちたということを明示したのだと思うのです。

行政の対応もいまいちだけど(特に林市政下で顕著)、市民も主体的にまちづくりに関わっていないのも事実。想定される事象に直前まで動かなかったなら、こうなることは見えていたはず。

ということで、今後の(そういう危険性のある建物はゴマンとあるので)対策を提案。
戦略的にずるく動いてみたらどうかな。

建物の価値や魅力を市民(だけでなく所有者にも)アピールするような活動。
建物の維持管理に何らかの手助けをできるようにする法整備、行政力。
建て替えなくても、収益につながるような具体的な提案などなど…。

まだまだできることはあるような気がするけどね。

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裏から見ると赤レンガなんだね。ちょっと驚き。

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表の白煉瓦(タイル?)。よく見ると目地が盛り上がっている。手間のかかる手法ですよ、これ。