Days on the Rove: FieldStudy

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2017/04/26

170423江ノ島道フィールドワーク(もしくはガイド顛末記)

自分が主催側に回る街歩きは2回目。ガイドをソロで務めるのは、今回が初めて。
緊張しましたがな。

藤沢宿から江ノ島へ続く江ノ島道の歴史と現在の移り変わりを中心に、地形(砂丘、後背湿地、河川改修、地名にみる過去の地形)、別荘/邸宅地(地形、人物、インフラ整備など)、果ては江ノ電ネタや1935年の県下名所・史蹟投票、防火帯建築の話まで盛りだくさんにガイドさせて頂きました。

あまりにも盛り込んだせいで、江ノ島にまでたどり着けない始末でした。これは反省事項ですね。

話したりなかったこと(クゲヌマランとか)、調べが足りなかったこと(落語大山詣りとの関係性、山本家、湘南白百合)があって、そこも反省。(時間との塩梅も難しいですね)

配布する資料もその塩梅が難しい。当日配布する資料は持ち歩きに便利にすべきだし、とはいえ伝えたいことは多い。難しいね。

伝えたいことが伝わったのか、面白がって頂けたのか、心配です。でも、どんな場所でも「深掘り」するだけの魅力があることが発見できたのは収穫です。コレハツギニイカシタイネw。

さて次はどの街を探検しますかね。お声掛かりがあるといいな。

| 猫綱 | | *Lifelog2017 FieldStudy Fieldwork | Comment (0)

2016/06/26

鎌倉の古墳と微地形についての一考察

鎌倉市内で古墳時代の箱式の石棺墓と埋葬された人の骨が発掘されました。
石棺墓が見つかったのは鎌倉市由比ガ浜の海岸から400メートルほど内陸に入った遺跡の発掘現場です。
石棺は深さが45センチ、長さ2メートル30センチ幅およそ1メートルで、数十個の石が長方形に積み上げられています。
5世紀から7世紀ぐらいの古墳時代の石棺墓が鎌倉市内で発掘されたのは初めてですが、県内では13例目で主に三浦半島エリアで出土しています。
一方、人骨は身長が155センチほどで骨の形状や成長度の分析から10代半ばの男性と推測されています。
また6日には石棺墓近くで同じ古墳時代の地層から埋葬された子どもとみられる人の骨が新たに発見されました。
鎌倉市は発掘現場を今月12日に一般公開する予定です。

tvkニュースより(出典先リンク消失)

というニュースが話題になりました。場所は、(仮称)由比ガ浜こどもセンター建設地とのことです。以前旧鈴木邸といい、アントニン・レーモンド設計の邸宅があった場所になります。

鎌倉で古墳というと、向原古墳群というのがあります(した)。
いくつか古墳があったようですが、現存しているのは和田塚という駅名の元になった和田塚です。もとは無常堂塚と呼ばれたもので、 1892(明治25)年にその一部が削られたとのこと。和田塚という名の由来は和田合戦から来ているようですが、どこまで真実なのかは謎のようです。

また、采女塚という円墳が1887( 明治20 )年 に道路工事のため壊され、女子像・男子像・馬・円筒などの埴輪が出土した記録があるそうです。

鎌倉石棺研究2

大まかですが今回の石棺が見つかった場所と、和田塚の位置をプロットしたものと、カシミール3D+スーパー地形セットで書き出した微地形図をGoogle Earthで表示してみました。

旧市街の平地の中でも比較的標高の高い場所に位置しているのがわかります。
由比ヶ浜通りが全体として標高の高い尾根筋に当たるようにも見えますね。
地形的と古墳の位置に関連性があるような気がしてなりません。

こうなると他の向原古墳群の位置を詳しく調べてみたくなります。(今後追いかけてみたいですね)

鎌倉石棺研究1

| 猫綱 | | FieldStudy | Comment (0)

2014/05/08

これは震災復興橋梁だろうか?

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神奈川区に流れる滝の川に掛かる土橋という小さな橋の親柱。
軽自動車がぎりぎり通れるぐらいの橋なのにずいぶん立派な親柱があるので、震災復興橋梁ではないかと疑っている。

震災復興橋梁とは…と説明すると長くなるので、端折って説明する。
関東大震災後の復興・復旧として東京・横浜の都市計画の一環としてつくられた橋梁。大岡川に架かる橋が有名。親柱にデザインの特徴がある。(って、これでいいのかw横濱 Vol.44 2014年春号を参照してみるとよいです

場所はここ

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この橋の竣工は昭和4年。ちょうど震災復興で都市計画がされた時期。
やはり疑わしい…のかな?

今昔マップで確認してみると、震災前からある道(橋)ではあるようだし、うーむ

加えて近くには、滝の川に立派な雨水吐のポータルが。要石までついている。この川の護岸も疑わしい。うーむ。

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2014/04/20

鎌倉の失われた温泉について その2

以前書いた、鎌倉の失われた温泉についての追加記事。

今回の記事は「としよりのはなし」鎌倉市教育委員会編平成2年第五刷より引用させていただいています。

1.山崎園について

p202(山崎ではなく寺分より抜粋)

「山崎にも温泉はあったが、そっちはバクチ宿だった。」

ええ?w

p213

「〜庚申塚は上と下にある。上のは打越、下のは八反目にある。下の庚申塔がみんなこば(端)が欠けているのは、中古に山崎園という温泉旅館があった。そこで毎晩のようにバクチがひらかれた。そのとき誰いうことなく、お庚申さまを欠いてもっていれば、負けない、と言うようになったためで、お庚申さんこそ迷惑なこったってことです」

バクチ場ですかw。ちょっと残念な気分。
途中に出てくる、打越、八反目は小字と確認。中古は発見できず。

p209に山崎の小字・小名がでていますが、この中に「熱海」、「湯の本」という文字を発見。「湯の本」は以前のブログでも紹介しましたが、「熱海」とは…。以前のブログで書いた「燃える湯」と何か関係があるのでしょうかね。

2.陣出園・神明温泉について

p202より引用。

「むかしから陣出温泉と神明温泉があったがどちらもいちまきだった。いまの工場ができるときにやめた。(国鉄大船工場の前身は海軍工廠深沢分工場として、昭和17年ごろ、町屋、寺分の山を崩して耕地を埋めてできた。)田んぼにふき出した鉱泉をわかした温泉だったが、よく湯治客が来ていた。」

いちまき…いちまきってなんですかね?辞書でそれらしいのは「一族」ぐらいかな。同族経営だったということなのでしょうか?

湯治客が来ていたそうなので、宣伝めいた物もあったのかなと思います。ちょっと探してみよう。

3.以前のブログでも触れた「亀ケ谷切通下の温泉」について

これは観光ガイドブック「かまくら手帖」(平成9年鎌倉市観光協会発行)より引用。

香風園

創業約90年の老舗旅館。木々が鬱蒼と生い茂る亀ガ谷切通しにひっそりと佇む。川端康成や里見弴など、多くの文士が訪れたことで有名。しっとりとした和風庭園や竹林に取り囲まれ、客室からは鎌倉ならではの谷戸の景色が堪能できる。庭内には鎌倉時代に湧出したという洞窟温泉風呂があり、その昔は源頼朝公や政子夫人も利用したという。
9室/2食付1万4000円〜(税別)/P5台
鎌倉市扇が谷3-10-21
0467(2*)****(引用者注。電話番号は一部*印で表記)

ああ、香風園でしたね。現在はマンション?になっています。いつ頃、宿をやめたのかは不明。結構早かった記憶はあるのですが…。

4.

友人が発見したネタ。

大船田園都市のチラシ「新鎌倉鳥瞰図(大正9年)」の隅、大船と北鎌倉に間あたりに「ラジウム温泉」の文字があるそうです。

結構ポピュラーな資料ですが、田園都市の街路に気をとられて、温泉の文字までは気がつきませんでした。

理想的住宅地新鎌倉案内(大船田園都市株式会社/1922)神奈川県立図書館所蔵(部分拡大)
理想的住宅地新鎌倉案内(大船田園都市株式会社/1922)神奈川県立図書館所蔵(部分拡大)

大船(おほふな)駅と鎌倉(かまくら)駅の間に、「ラヂウム温泉」の文字があります。
その文字の右上には天神山の文字。その麓にちいさな建物の姿がみえます。

前回も紹介した今昔マップで確認してみると

これは、同じ物でしょうね。当時、ある程度知られたものだったのかもしれません。
昭和2年に同じ山崎(といっても距離は離れていますが)に、北大路魯山人の星岡窯をつくっているぐらいの鄙びた場所だと思うのですがね…

(北鎌倉駅はこの絵図のできた5年後、1927年、仮停車場として開業したので記載はなくて当然です。念為)

今後は絵葉書、観光ガイドなどで、実際に当時の様子がわかる何かが見つかればいいですね。今後の研究課題のひとつです。

くわえて香風園についても、いつ頃閉館したのかなど調べておきたいですね。これは簡単にできそうですが…

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2014/04/10

[横浜検定]久良岐の初出について

第8回かながわ検定横浜ライセンス2級、感想戦6回目[歴史その3]で書いた久良岐郡の問題についてのフォロー記事。

問15

中区や磯子区などの地域は、久良岐郡と呼ばれていました。この久良岐の地名が最初に載った書物はどれでしょう。

①万葉集 ②日本書紀 ③続日本記 ④日本後紀

(正解②日本書紀)

参考資料とは指示されていない、よこはま百問2(神奈川新聞社刊)に解説が記載。

「「久良岐」の名の初出は、「日本書紀」の安閑天皇元年(西暦532年:引用者注)の条に見ることができる」

終了〜。
というわけにはいかないので、以下「久良岐」がでてくる部分を超訳。

武蔵国の国造(国主)一族の内乱が発生(本家と分家の国造争い)。
本家は大和朝廷に助けを求め、分家を征伐してもらう。
本家は分家の領地であった武蔵国南部を朝廷の直属領(屯倉(みやけ))として奉納する。
その四つの場所の名が「横淳(よこぬ)」、「橘花(たちばな)」、「多氷(たひ)」、「倉樔(くらす)」。
なんとなく聞き覚えのあるような名もありますが、「倉樔(くらす)」=「倉樹(くらき)」=「久良岐」ということらしいです。

7世紀後半、国郡里制がしかれる。
この時、横浜市域では「相模国鎌倉郡」、「武蔵国久良郡」、「武蔵国都筑郡」、「武蔵国橘樹郡」が設けられた。(テキストの地図では、市内に高座郡の一部もあったように書かれていますが…。瀬谷区・泉区あたりかな?)
八世紀半ば建立の武蔵国分寺からは「久良」の文字の入った瓦が出土している。

「日本書紀」の(書かれた時代区分が)あとの歴史書「続日本紀」には「久良(岐)郡」の文字がある。(正式の書物に「久良岐」が書かれたって事ですね。こういう問題も過去問でありました)
その部分をまたしても超訳。

「久良(岐)郡」で白い雉を捕らえ、朝廷に献上した。そのことが吉兆として喜ばれた。
そのため郡名の「久良(岐)」も尊ばれ、その年の久良岐郡の田祖(米の税金でしょうか?)が、三分の一を免除された。

なんだか、わかったのかわからなかったのか、わからない問題ですねw
でも、まあ、そういうことらしいです。

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2014/03/31

第8回かながわ検定横浜ライセンス2級、感想戦最終回[感想戦の感想戦]

感想戦をして気がついたことをまとめておきます。

●過去問がそのまま(もしくは一部改変)出題されていいます。
ただし、テキストや参考図書を読み込んでも、その回答を導き出せない問題が多数見られます。

●過去のテーマ問題が、他の分野(今回なら現代)で出題されています。
毎年、テーマ問題は設定されますが、参考資料の案内があるのはその年のみです。
つまり、過去のテーマ問題が何かであるとか、参考資料が何であるとかは、もう調べることはできません。
(過去のカナロコ問題が他分野で出題されているケースは見つけられませんでしたが、こちらも注意する必要がありそうです)

勉強する側にとってはテキストや参考資料が勉強の中心となるので、そこを中心(あくまで中心)とした出題をしていただきたいと思います。
(ちなみに鎌倉検定ではテキストから70%程度出題とうたっていますが、実際にはもっと多い印象です。何問か時事的な問題がある程度)

今後もこういった出題を続けるならば、過去問をすべて公開すべきです。そして過去問をも、参考資料としてあげるべきだと考えます。
ぜひ検討していただきたいと思います。

過去問を中心に勉強して、合格を目指すような本末転倒も生じるかもしれませんが、そこからテキストやほかの資料を読み込んでいく方も、少なからずいるはずです(と信じたい)。
(tvkショップで購入できる第1回から第4回までの過去問集には、テキストの参照すべきページが、ある程度記載されています。個人的には勉強になりました。)

これから検定を目指す方は、可能な限り過去問を入手することをおすすめします。ただし、鵜呑みにしないでそこから横浜の知識を広げていただきたいと思います。(心からお願いいたします)
あとは、せっかくあるセミナーや模試を活用するのも、ひとつの方法かもしれませんね。

さて、来年は一級ですね、一級は筆記になるので、どうなることやら。(そのまえに鎌倉検定の一級もあるわけで…w)

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2014/03/29

第8回かながわ検定横浜ライセンス2級、感想戦6回目[歴史その3]

横浜検定2級の間違った問題を再検討。来年につなげ、自分の知識を深めるための感想戦。
ツッコミ・フォロー・コメント・質疑あればなんなりと。
今回は歴史の問題を再検討。その3回目、にしてすべてのおさらいの最終回。

問15

中区や磯子区などの地域は、久良岐郡と呼ばれていました。この久良岐の地名が最初に載った書物はどれでしょう。

①万葉集 ②日本書紀 ③続日本記 ④日本後紀

これが難問。(いつもの通り)テキストには無し。過去問にはあり。
(追記、過去に横浜百問2という参考資料があり。これにはでている模様)
久良岐の地名が載ったのは「②日本書紀」。律令国家の郡の名前、久良(くらき)が正式の記録に載った書物は「③続日本記」とのこと。(あくまで過去問などによればです)
この問題の場合、「久良岐」なので正解は②日本書紀。
①万葉集は歌集なのでひとまず置いて、②③④は編年体で書かれた歴史書(六国史)の連続した部分。律令制の確立からあたれば、答えが導き出せるのかな…?

この問題は他に調べようを見つけられていません。難しいですね。(追い記事をいつの日か書きたいものです)

万葉集以外から当てずっぽうに(回答③→正解②)

問33

平成22(2010)年に60年の歴史を閉じた「花月園競輪場」は何という愛称で市民に親しまれていたでしょう。

①丘の競輪場 ②ハマの競輪場 ③松葉の競輪場 ④山の競輪場

(いつもの通り)テキストには無し。過去問にはあり。(昨年の2級問題にも掲載w。昨年も間違えていましたw。しかも回答も今年と同じ物をw)

出典は見つけられませんでしたが、はまれぽ等でも記事になっている花月園ですので、わりあい簡単な問題ではないかと思います。

丘と山で悩み丘を選択。花月園のあった場所は「山」ではなく「丘」だと思うのですがね…(回答①→正解④)

問39

京浜地区の埋め立て地では、埋立に功績のあった実業家にちなんで付けられている地名が多く残っています。鶴見区扇島は誰の家紋にちなんだものでしょう。

①安田善次郎 ②高島嘉右衛門 ③原富太郎 ④浅野総一郎

過去問にはあり。(昨年の2級問題にも掲載w。昨年も間違えていましたw。回答はさすがに違いましたけど。③原富太郎)

テキストには掲載あり。
「鶴見区の扇島は、その埋立に尽力した浅野総一郎の家紋の「末広紋」にちなんでつけられた」(p247)
他に
鶴見区安善町は安田財閥創業者の「安田善次郎」から
神奈川区鈴繁町は埋め立てた横浜倉庫の取締役「鈴木繁一」から
神奈川区千若町は埋め立てた横浜倉庫の代表「千坂高雅」と「若尾幾造」から
西区高島町は「高島嘉右衛門」の名から
も掲載されています。

安善、高島は既知。原冨、浅野で悩み、原富太郎の埋立はないはずと考えつけば、直接わからなくても答えにたどり着けたはず。(浅野総一郎は自分のなかで、川崎と神奈川区のイメージが強すぎたのかもしれない)

(回答①→正解④)

いちおうこれで、すべての誤答のおさらいを終了。次回は今回の横浜検定2級の感想戦・猫綱的傾向と対策を(来年以降受ける方のために!)。

| 猫綱 | | FieldStudy | Comment (0)

2014/03/28

第8回かながわ検定横浜ライセンス2級、感想戦5回目[現代]

横浜検定2級の間違った問題を再検討。来年につなげ、自分の知識を深めるための感想戦。
ツッコミ・フォロー・コメント・質疑あればなんなりと。
今回は現代の問題を再検討。

問45

横浜中華街には10基の牌楼(引用者注:はいぼう パイファン paifāng)があります。元町商店街に近い南側にあって災厄を払い、福を招くといわれる門はどれでしょう。

①朝陽門 ②朱雀門 ③延平門 ④玄武門

テキストには記載無し。過去問には同様の問題は多数あり。
(参考図書にあげられている「よこはま百問」にも解説あり)

各牌楼の名前と意味などは中華街のHPに詳しい説明がある。 
位置も同じく中華街のHPから確認できる。

ちなみに自分がこの牌楼で覚えていたのは(東南西北=朝昼暮夜=青赤白黒=春夏秋冬)という関連性と、最初にできた牌楼が善隣門で1955年ということだけ。

それぞれの正確な位置は、さすがに覚えていませんでした。中華街、そんなに行ったことないものね(ハマっ子の中華街知らず、ですねw)

南側ということで朱雀門を最初に選択したものの、見直しの際に論外の①朝陽門(朝=東側)、④玄武門(玄武岩=黒=北側!)ではない③延平門を選択。延平門は白の門なので西側の門。ああ、最初の判断通りにしていれば…(回答③→正解②)

問50

七福神に達磨大師を加えた、全国でも珍しい七福神ならぬ八福神のある区はどこでしょう。

①港北区 ②瀬谷区 ③戸塚区 ④南区

テキストに記載無し。過去問にはあり。
ネット検索ではWikipedia区のHPにあり。
この問題に関しては過去問にあたれた人か、地元の方以外では難しいですね。
自分は(恨みをこめて)今後絶対に忘れません。

戸塚は論外(自分が聞いたことがない)。南区と瀬谷区でなやみ(港北は…ないよねぇ?)
結局南区を選択。(回答④→正解②)

問56

横浜商業高校(Y校)にある、国内でただ一つの珍しい別科はどれでしょう。

①トリマー養成 ②通関業務 ③バイヤー養成 ④理容・美容

テキストに掲載無し!お決まりの過去問にあり!
出典はどこなんですかね…

Y校故に、商業系の通関業務・バイヤー業務のどちらかかと考えたのだが…まさかねぇ。
(回答②→正解④)

追記:幾人かに聞いたら、ご存じの方もいらっしゃるようでw。まさか知らないのは…自分だけ?

問58

現在、日本中央競馬会が開催している次のG1レースのうち、根岸競馬場が起源の地となっているのはどれでしょう。

①天皇賞 ②有馬記念 ③ジャパンカップ ④宝塚記念

テキストに掲載無し!お決まりの過去問にあり!
しかも昨年の2級のテーマ問題でした!昨年の問題をさらっておけばw(しかも、昨年は正解w)

昨年の参考図書「季刊誌横浜」にはちゃんと掲載されています。
「春の天皇賞は1937年の帝室御賞典を第1回としてカウントしている。そしてこの御章典競走の起源がニッポン・レース・クラブ、1905(明治38)年5月の春季開催で実施されたエンペラーズ・カップであった。駐日英国公使が日露戦争中、日英友好の証をアピールするものとして、宮内庁にカップの下賜を申し入れていたが…」(p29一部略)

天皇賞とジャパンカップと迷い、結局ジャパンカップを。(回答③→正解①)

しかし、過去のテーマ問題を現代の問題として出題していいものなのでしょうか…

問60

横浜市に誕生したプロバスケットチーム「横浜ビー・コルセアーズ」の「コルセアーズ」の意味はどれでしょう。

①かもめたち ②海賊たち ③山賊たち ④天使たち

テキストに掲載無し!お決まりの過去問にあり!
しかも昨年の2級のテーマ問題でした!昨年の問題をさらっておけばw(しかも、昨年は正解w)

昨年の参考図書「季刊誌横浜」にはちゃんと掲載されています。
「横浜ビー・コルセアーズとはどういう意味か、ビーは「ベイ」や「ブルー」をなどを意味するB、コルセアーズとは海賊たちという意味で、勇敢に暴れる様子を表現する。通称「ビー・コル」だ。」(p14)

なんでカモメにしたのかなぁ…。カモメなら「ガル」ですよね…。うーん。
(回答①→正解②)

しかし、過去のテーマ問題を現代の問題として出題していいものなのでしょうか…
って、あれ?同じ様な文章を先ほど書いていたような…あれ?

一過性のテーマ問題にしないのは、確かに納得できるのですが。今年初めて(3級をするーして)2級をチャレンジする方には酷な問題ですよねぇ。

| 猫綱 | | FieldStudy | Comment (0)

2014/03/27

第8回かながわ検定横浜ライセンス2級、感想戦4回目[テーマ]

横浜検定2級の間違った問題を再検討。来年につなげ、自分の知識を深めるための感想戦。
ツッコミ・フォロー・コメント・質疑あればなんなりと。
今回は毎年それぞれに設定されるテーマ問題を再検討。

今年のテーマ問題は「横浜港を楽しむ」。
参考図書は「季刊誌横濱2013夏号Vol.41(ISBN978-4-87645-505-8)」テーマ問題と同名の特集

(ちなみに昨年は「横濱とスポーツ」。季刊誌横濱が、同じく参考図書でした)

問86

明治29(1896)年、日本郵船は横浜港と北米のどこの港との定期航路を開設したでしょう。

①シアトル ②サンフランシスコ ③サンディエゴ ④オークランド

横濱2013夏号Vol.41に正解あり。
「大さん橋の完成を待つかのように1896(明治29)年、日本郵船は北米シアトル、欧州、豪州の遠洋航路を開設した(p41)」
「外国航路の自立」「乗船客の大半は移民」「横浜港を大正期まで移民の送り出し港」(同じくp41)

他に
「1898(明治31)年、東洋汽船がサンフランシスコ航路を開いた」(同じくp41)
「1860年代、イギリスのP&O汽船(PO)はロンドンー上海航路を、フランスのメサジェリ・マリティム社(MM)はマルセイユー上海航路の支線をそれぞれ横浜まで延ばした。さらに太平洋では1867年アメリカのパシフィック・メール社(PM)がサンフランシスコー横浜ー香港航路を開設した(p40)」
氷川丸はシアトル・バンクーバー航路ですね。同じ日本郵船の秩父丸(鎌倉丸)はサンフランシスコ航路。
サンディエゴは航路があったのかは不明ですが、横浜最初の姉妹都市ですね(1951)。山下公園の水の守護神像はその際に贈られたもの。
オークランドも航路があったのかは不明。ただ日本人移民は多い町だったようですね。

PO・PM・氷川丸の航路は押さえていたものの、この問題はまったくわからず。
サンフランシスコ・シアトルで悩み、結局主要航路だったサンフランシスコを選択。(回答②→正解①)

ああ、日本郵船歴史博物館に久しぶりに行って、勉強しなくては!

問91

大正12(1923)年の関東大震災で横浜港は大きな被害を受けた。この被害からの横浜港の復旧工事が完了したのはいつでしょう。

①大正13(1924)年 ②大正15(1926)年 ③昭和3(1928)年 ④昭和6(1931)年

季刊誌横浜に記載あり。
「50日後の10月21日には内務省が復旧工事に着手した。港内の静穏を確保するため防波堤から着工した。(略)昼夜兼行作業の結果、大土木工事は1925(大正14)年に2年間という短期間のうちに終了した。(p41)」

あれ?2年??実は続きがあります。

「土木工事の進捗に合わせ、1924(大正13)年から大蔵省が陸上設備の復旧工事を行った。これによって、上屋、倉庫、道路、鉄道、電気設備、起重機などが一新された。(略)1931(昭和6)年3月、こうして横浜港の復旧工事は完了した。」

ちなみにテキストでは「応急仮設工事から開始し、(略)大正14年で一応完成…(p203)」とでています。

2年と覚えていたために、回答できず。結局、当てずっぽうで撃沈する羽目に。(回答③→正解④)

問95

戦後、瑞穂ふ頭がアメリカ軍により無期限使用になったため、替わりに建設されたふ頭はどれでしょう。

①出田町ふ頭 ②山内ふ頭 ③山下ふ頭 ④大黒ふ頭

参考図書に記載あり。
「1950年(略)接収解除運動を積極的に行ったが、進まなかった。このため国は(略)大開施設として出田町ふ頭と高島ふ頭3号さん橋を建設する。さらに瑞穂ふ頭がアメリカ軍の無期限使用になったため、替わりに山下ふ頭の建設が決まった。(p43)」
山内埠頭は震災後。大黒ふ頭は戦後の建設ですね。

接収代替埠頭は出田町と覚えていたので、これも間違い。うーん。
(回答①→正解③)

問97

現在、横浜港への年間客船寄港数は全国1位ですが、何年から全国一位でしょう。

①1973年 ②1983年 ③1993年 ④2003年

参考図書に記載あり(p44)。近年だろうと推測。ごく最近とはおもわなんだ。(回答③→正解④)
横浜が一位になる前はどこが一位の港だったのですかね?神戸??

テーマ問題は素直な問題がおおい印象。参考図書を買って隅から隅まで読めば、答えは必ずあるような気がします。

| 猫綱 | | FieldStudy | Comment (0)

2014/03/26

第8回かながわ検定横浜ライセンス2級、感想戦3回目[自然]

横浜検定2級の間違った問題を再検討。来年につなげ、自分の知識を深めるための感想戦。 歴史編ののこりは一旦置いて、自然編を。

問63

背の高いイネ科が生育する湿地や草地に好んですむ小型の在来ネズミ類で、横浜市内では絶滅危惧状態になっているのはどれでしょう。

①アカネズミ ②カヤネズミ ③クマネズミ ④ハタネズミ

テキストに記載無し。「在来ネズミ類は絶滅危惧状態となり…」と書かれているのみ(p72)。過去問には同様の問題はあり。
せいぜい、カヤ=茅→湿地?と気がつけば正答できるかな(無理筋w)。(ハタネズミも生育場所は同じような気もしますが…)
(回答③→正答②)

問66

蝶の一種であるツマグロヒョウモンが最近、横浜で見ることができるようになった理由は何でしょう。

①愛好家が放したため ②天敵が減少したため ③地球温暖化の影響 ④森が増加したため

テキストに記載されたチョウの話題を列挙する。
地形・地理相の違い:クロヒカゲ、ヒメキマダラセセリ、ホシミスジ
温暖化による影響:ツマグロヒョウモン 
絶滅:ツマグロキチョウ
絶滅危惧:オオムラサキ
都市植栽による個体数の増加:アオスジアゲハ
愛好家が放したための増加:アカボシゴマダラ

生物系は苦手。名前を聞いてもイメージが思い浮かばないのが痛い。
アカボシゴマダラとツマグロヒョウモンを取り違えて覚えていたのが敗因。
(回答①→正答③)

問70

横浜の希少植物のなかで、主に近畿以西、四国、九州に分布し、横浜市の一部(戸塚区、港南区)に希に生えている不連続分布の珍しい木は、次のどれでしょう。

①オオバヤシャブシ ②ガクアジサイ ③ネコノチチ ④ホルトノキ

テキストに記載があるのはネコノチチのみ。過去問には全く同じ問題がありました。
②は早々に排除。③は覚えているキーワード(横浜南部=ネコノチチ=名前の由来(実の形が猫の乳房状のため))に当てはまらず、除外。①と④から聞き覚えのある④を選択。(ヤシャブシだって知らないわけではありません。為念。)
(回答④→正解①)

しかし、ホルトノキをテキストのどこかで見かけたような気がするのですが…。他のなにかで最近読んだのかな…。

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