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2015/05/05

長沼層の露頭?

横浜市の一部地域で小学生なら知っている(授業で習う)長沼層。

長沼層とは…

三浦半島北端、横浜市栄区長沼町の柏尾(かしお)川沿いを模式地とする中部更新統相模(さがみ)層群最下部の地層。下位の鮮新統~下部更新統上総(かずさ)層群を不整合に覆い(長沼不整合)、相模層群下部屏風ヶ浦(びょうぶがうら)層に不整合で覆われる。伊豆半島北縁から大磯(おおいそ)丘陵、さらに三浦半島北縁にかけて生じた東西方向の凹地(相模堆積(たいせき)盆地)への一連の海進堆積物の中・下部層にあたる。全層厚約65メートルで、最下部の礫(れき)層・泥炭層・シルト層、下部のシルト~細砂層、中部砂層、上部の多数の凝灰岩を挟在する砂層の4部層に区分される。本層中からは、現在本州中部以南に生息する100種近い貝化石が発見されている。共通する貝化石がみられる大磯丘陵の二宮(にのみや)層群中部と対比されている。(コトバンクより抜粋)


長沼層の模式地は横浜市栄区長沼町。
この長沼町の近辺には貝殻坂というバス停が存在します。これは地名(字地名)ではなく、この場所を通るバスが開通した際にバス停名として名付けられたものです。
舗装される前は、路面に貝殻が散らばるような場所だった様ですが、今ではその様子を見ることはできません。

と、思っていたのですが…。まずはこの写真を御覧ください。

長沼層露頭?

写真中にある白いものは、貝殻の欠片です。場所は…

坂を下って、左に曲がった先が貝殻坂になります。
貝殻坂の近くで(微妙ではあるけれど)長沼層の露頭を見ることができるとは!
子供の頃に見た、立派な露頭(五センチ程度の貝殻で構成された地層を見ることができた)は大抵、宅地造成で破壊されてしまったからなぁ…。
今後も(もっとしっかりとした)露頭を探していくつもり。

(補遺)記事中で、バス停地名として貝殻坂と名付けられたと記載しましたが、「栄の歴史(H25、栄区役所発行)」には以下の記載があります。

横浜開港以後、栄地域の村々では薪炭などを移出していたが、武相国境の日野峠が交通の難所となり、車馬通行の妨げとなっていた。そこで中野・桂・公田の三か村は、明治九年(1876)六月日野村と協議して、日野峠に新たな道路を開くことを計画。これを完成させた。また翌一〇年には鍛冶ヶ谷村も日野村へ通じる新道変更を計画、小岩井善治郎らが工費・土地代などを提供して完成させた。(中略)また天神橋付近、長沼村・飯島村間の蛤(はまぐり)坂でも地元民の負担で改修工事が行われた。

との記載があり、明治初期には貝殻坂ならぬ蛤坂と呼ばれていた模様です。
kanageohis1964さんのブログ・地誌のはざまにの「【浦賀道】追記:長沼村の貝殻坂について」という記事も、ご参照ください。(自分もちょこっと登場していますがw)

| 猫綱 | | Fieldwork | Comment (2)

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コメント

こんにちは。ちょっと遅くなりましたが取り上げていただいてありがとうございます。

宅地造成される際に法面は大抵コンクリートなどで補強されてしまいますから、こういう形で元の地面が顕になっている場所は確かに貴重ですね。

●Posted by: kanageohis1964 | 2015/05/09 13:25

kanagiohis1964さん
ありがとうございます。

ここは道路開削(といっても20年ぐらいにはなるような)にともなう切り通しなのですが、こんなところに!といった感じでした。
おそらく法面の高さが2メートルもないことが、この状態が維持された原因かもしれません。
ほかの露頭も含めて調査していきます。(高度や範囲から貝殻坂のどのあたりに貝殻が広がっていたのかが気になっていますので)

●Posted by: 猫綱 | 2015/05/10 08:25

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