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2010年5月

2010/05/29

旧東横線高島隧道その後


Picasa, EX-M1

以前も撮影した高島隧道、緑道として整備されていますが.....


Picasa,EX-M1

と言う事情で、今だ通行出来ません。
ここが通行出来ると、いろいろ便利なんですけどねぇ...

2010/05/23

Someday Somewhere, *100523


Flickr  鎌倉、寿福寺。NikonF401s+AF35-70mm+NATURA1600(scanning EPSON F520)

以前撮影したフィルムをスキャニングしたもの。
パラメータを若干いじってあるだけ。
同時プリントした物を見ると、ただの失敗写真。でもこれは案外悪くない色調。

フィルムの良さを再認識した。
ただし、自分でスキャンしなくてはダメだな。面倒だけど得られる物は大きそうだ。

2010/05/19

横浜に炭坑があった?(とりあえずのまとめ)

横浜に炭坑が?と言う驚きを、(とりあえず)まとめてみる記事。

きっかけは、横浜市戸塚区まちづくり倉田地区まちづくりプラン(http://www.city.yokohama.jp/me/totsuka/kusei/kurata.html)の中の史跡・名所の紹介欄に「下倉田(町名:筆者注)の亜炭」の文字があったこと。

横浜に亜炭?炭坑があったのか?!

まずは亜炭が何かを調べてみる。(wikipediaより

  • 亜炭(あたん、 lignite) とは石炭の中でも、最も石炭化度が低いものをいう。
  • 褐炭が褐色を呈するものが多いのに比べ、亜炭は褐色から暗灰色を呈する。
  • 続成作用を強く受けていないため、セコイヤなどの木片の組織が観察されることも多い。
  • 品質に関しては褐炭同様、石炭化が十分に進んでいないために不純物や水分を多く含み、得られる熱量が小さいことから、製鉄などの工業用途には向かない。
  • 日本では明治年間から1950年代まで全国各地で採掘され、主に家庭用燃料として重宝された。特に、第二次世界大戦中および直後においては、燃料の輸送事情が極端に悪化したため、大規模~中規模の都市の市街地などでも盛んに採掘が行われて利用された。
  • 亜炭は着火性が悪く、燃焼時にも独特の臭気や大量の煤煙を出すため、燃料事情が好転すると早々に都市ガスや石油などへの転換が進められた。
  • 2000年代の日本では、燃料としての亜炭の使用は皆無であり、輸入された亜炭(褐炭を含む)が飼料の添加物や土壌改良材などに用いられるのみである。

かなり質の良くない石炭の一種の様ですね。

つづいて、横浜市戸塚図書館の郷土資料紹介のページにて「ふるさと戸塚」という戸塚の古老への聞書き本に下倉田の亜炭についての記事があることを発見。早速借りてくる。

以下、要約。

  • 村人が発見。採掘するものの採算が取れず撤退。(時期不明)
  • 1916-17頃鉱山師が目をつけ測量調査。
  • 亜炭層が野庭(港南区)付近まであることを発見。採掘開始(野庭が先に開始)
  • 運び出しのため川沿いに県道までトロッコの軌道を敷設(1200mほど)。
  • 田畑の上に軌道の橋が100mほどかかっていた。
  • 後には軽便鉄道を戸塚駅まで敷設する話もあった。(!)
  • 採掘の最盛期は大正7,8年。
  • 亜炭層は30〜35cmほど(!)
  • 坑道は2段から3段で1000mの長さがあった(!)
  • 立坑(空気穴)は2ヶ所。(地名あり)
  • 昭和初期まで採掘されていた?

これ以上の資料は発見出来ず。一旦終了。

ツイッターで港南区の郷土誌本「こうなんの歴史アルバム」に炭坑の話題があることを知る。(@ktsksketchさん、感謝)

本は入手するとして、とりあえず港南区の炭坑についてネットで検索。(本は現在も未入手、なんとかしなくては)

現在はここまでで終了。

うーん、もっと判ったことが多いと思っていたが...意外と少ないのに愕然。

疑問点。要調査。

  • 亜炭層はどういう地層に含まれていたのか?
  • 亜炭層は実際にどの地域まで広がっているのか?
  • 亜炭層の成立年代はいつか?
  • 戸塚区側で亜炭坑関連の写真が残っていないか?
  • 地図等で(戸塚区側の)炭坑の痕跡は見つけられないか?
  • 具体的な坑道の形などがわからないか?
  • 正確な採掘時期がわからないか?
  • トロッコ線はどこに敷設されていたのか?
  • どういう組織が採掘していたのか?
  • 採掘の痕跡が現在でも何かしら残っていないか?
  • 都市化した地域だが現在でも亜炭が露出している場所がどこかにないか?(実物が見たい!)

などなど、気になることは一杯です。
資料を当たることと、土地の古老、郷土史家の方々に尋ねてみようと思います。

続報をまて!

2010/05/17

海の恵み

知人からいただいた、アサリとホンビノスガイ

貝尽くしで頂きました。とっても美味。感謝。

2010/05/13

[movie]ミリオンダラー・ベイビー

ミリオンダラー・ベイビー
クリント・イーストウッド, ヒラリー・スワンク, モーガン・フリーマン
ポニーキャニオン ( 2005-10-28 )
おすすめ度:アマゾンおすすめ度

昨日BSで放映されていた映画ミリオンダラーベイビー(’04、米)を見た。
主演・監督・制作は現代唯一無二の生粋の映画人クリント・イーストウッド。

猫綱の個人的ベスト1映画である。人間の矜恃、尊厳を深く追求した映画なのである。
決して、公開当時に振られた彼女を未練がましく強引に誘って見に行ったという阿呆な過去(爆)でベスト1なのではない。
(ただ...その子に『デートで見るようね映画じゃないわね』と言われたのも、懐かしい記憶ではある(爆沈))

まあ、そんな個人的な事はさておき、この映画は愛の映画なのである。

しがないボクシングトレーナーの主人公が、彼の教え子である女性ボクサーがKOを奪った時、彼女に「モ・クシュラ(Mo Chúisle)」と口パクで賛辞を贈る。

その言葉は古アイルランド語であるゲール語、彼女は意味を尋ねるがイーストウッドは教えようとしない。
(映画の途中で、イーストウッドがゲール語を学ぶシーンも前フリとして出てきます)

映画の最後でその言葉「モ・クシュラ(Mo Chúisle)」の意味を伝える。

「おまえは私の親愛なる者、おまえは私の血(My darling, my blood)」

(本当は「おまえは私の親愛なる者、おまえは私の鼓動だ(My darling, my pulse)」が正しいらしいです)
つまりは愛の言葉だったわけだ。別に恋愛感情というわけではなかったのだろうけど.....

さらに主人公がその一節を読んでいるイェイツの詩も興味深い。

”The Lake Isle of Innistree"

I will arise and go now, and go to Innisfree
And a small cabin build there, of clay and wattles made;
Nine bean-rows will I have there, a hive for the honey-bee,
And live alone in the bee-loud glade.
And I shall have same peace there, for peace come dropping slow

”イニスフリー湖島”

ああ、あすにでも行こう、あの島へ
そしてあそこに小屋を立てよう
壁は泥土、屋根は茅葺でいい
豆の畑は畝を九つ
その蜂たちの巣はひとつ
その蜂たちの羽音のなかで独り暮らそう
ああ、あそこなら、いつかは心も安らぐだろ う
安らぎはきっと、ゆっくりくるだろう(加島祥造訳)

主人公とヒロインが求めた心の平穏はそこにあったのだろうか...

映画中、レモンパイ(手作りで美味しいの)があるダイナーの話が出てくる。
そういうダイナーで隠居暮らしして見たい物だ、と。
その話とこの詩が繋がってくるわけだ。なるほど。

視聴後の一抹の苦さ(イーストウッドの映画には多い)に何かを感じる・考えさせられる映画です。

2010/05/10

[散歩]横浜駅〜戸部〜野毛山〜藤棚〜保土ケ谷

と、言うわけで展覧会観賞後、思い立ってフラフラと散歩開始。
突然だったのでカメラもなく、下調べもないので当てどもなく歩くことに。
そうしてフラフラと歩いて、たどり着いたのが戸部の町。

この戸部の町がなかなかにいい感じの町でした。
みなとみらいの高層ビル群の足下に生活感あふれる町が広がっているなんて!

看板建築、路地裏庭園、銭湯、角打ち、商店街(ちょっと寂れているけど)、野良猫、ブラフ積み、などなど大好物だらけでした。
これはもう一度カメラ抱えて散歩の必要ありそうです!
(岩亀稲荷を見逃したのも気になる所です)

そのまま歩き続けてたどり着いたのが藤棚商店街。
こちらは相変わらず活気がありますなあ。
途中ステキな角打ちを発見。今度満を持して飲んで見たいと思います(爆)
理容店→銭湯→精肉店でコロッケmgmg→角打ちで一杯なんて簡単に出来そうな商店街でした。

ああ、カメラ持っていくんだった...反省

教訓:鞄にカメラはいつもいれて置け!

[展覧会]向井潤吉展〜横浜高島屋ギャラリー

古い日本家屋を描き続けた洋画家・向井潤吉の展覧会に行ってきました。
タダ券をずいぶん前にもらっていたのに、最終日に慌てていく始末(汗)

感想・覚書をいくつか。

  • 日本家屋を描き始めたのは戦後
  • 戦前の絵は線が太く、荒々しい物が多い。
  • 古民家の絵も歳を経るほどに精緻で平明な絵になっていく。
    (後年のものほど、空の青さが際立っている)
  • スケッチの水彩もなかなかの物
  • 自宅アトリエが一度火事に遭っているので、焼けただれた水彩画ある。
  • 古民家を描くようになったきっかけは何なのだろうか?知りたい。

久しぶりの芸術鑑賞、いい時間を過ごしました。

2010/05/06

[近代建築]旧鎌倉ハム冷蔵庫


横浜市戸塚区柏尾町

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