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2009年12月

2009/12/28

谷戸坂切通付近の宅地開発

以前ブログで紹介した、鎌倉の「谷戸坂切通」の周辺で宅地開発の計画があるようです。


2年前の谷戸坂切通南側
(以下切通の写真は2年前のもの)

現在宅地造成のための公示が為されています。以下計画図

一部拡大


*切通は茶色の筋の途中から3時方向に延び、その後一時方向に向かう道です

簡単な地図を用意

より大きな地図で 鎌倉谷戸坂周辺地図 を表示

計画図を見ると切通し南側出入口の右側部分が削られ宅地造成される計画になっています。
また、連絡道路部分も拡幅されるので切通近くにある青蓮寺(鎖大師)への隧道入口も破壊されるものと思われます。(隧道自体は既に消滅)

数年前に落石のため通行禁止になっていた切通ですが、この風景が見られるのもあとわずかかもしれません


切通はかなりの深さがある。とても人力で掘ったとは思えないほど。


南側から撮影。封鎖されている所が切通。切通から右側が造成予定。青蓮寺への隧道はこの写真左側にある。(写真無し)

補足:谷戸坂切通は東海道戸塚宿から分岐する鎌倉道からさらに分岐している江ノ島道の一部だと考えられています。
宅地・工場開発により現存部分は少なく、ルートの特定は難しいですが、JR小袋谷踏切付近で鎌倉道から分岐し、山崎小学校付近→富士塚→谷戸坂→腰越→江ノ島と行くものと思われます。

2009/12/26

ようやく見つけた「谷戸の池」


鎌倉市山ノ内、W41CA

ようやく見つけた「谷戸の池」

前々からその存在を知っていた「谷戸の池」。
鎌倉の人家から外れた谷間にあります。
以前から訪れようとして何度も試みましたが、ついぞたどり着けぬ場所でした。
そんな折、ブログ仲間のNo Identityさんが「谷戸の池」へ行かれたとのこと。
半休で帰宅中の今日、ふと思い立って北鎌倉駅で下車、「谷戸の池」を目指してみました。

何度も道を行きつ戻りつしながらようやくに見つけたその池は、静かに水をたたえていました。本当に何度目のチャレンジだろう?(爆)


池に行く途中の風景。北鎌倉の駅と円覚寺も写っています。

急に思い立ったので準備も何もなく出かけましたが、案外楽しかったです。
鎌倉とは言え人家から離れた山の中、その静寂さは心細くなるほどでした....
やっぱり、低山逍遥はいいなあ...

2009/12/18

ブラタモリ横浜「補講」編

という訳で大興奮の内に終了したブラタモリ横浜編。
内容盛りだくさんでちょっと駆け足気味なのが残念でした。「本郷台地」や「品川」にはかなわない感じですかね。とりあえず興奮の冷めない内に復讐...じゃなくて復習しましょうか。(慌てて書いたので、思いつき次第内容は書き加えていきます!)

では補講の始まりです。起立、礼!

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2009/12/12

ブラタモリ横浜編を100倍楽しむための書籍&サイト

最近放映が待ち遠しいTV番組であるブラタモリ。
次回12/17放送では「横浜」を取り上げるとのことなので、
横浜原理主義者(*1)としては黙っているわけには行きません!

*1:横浜は横浜でも旧鎌倉郡域の人間がこう名乗るのはおこがましいという意見もあるが無視する

ということで猫綱が普段利用&チェックしているサイトや書籍をご紹介。
これらをチェックしてブラタモリ横浜編に備えよ!100倍楽しめ!(*2)

*2:当社比

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2009/12/10

方代という人

一度だけ本当の恋がありまして南天の実が知っております

方代という歌人がいた。『かたよ』ではない『ほうだい』である。
子供たちに早世された両親が、「生き放題、死に放題」であるとして名付けた名前。
その名の通り方代は勝手気ままな人生を歩んでいた人。

出征中に失明した隻眼のせいか仕事無く家もない。
自費出版した処女歌集は19歳年上の姉に費用を無心したもの。
せっかく姉が用意してくれた仕事も弁当を持ってフラフラとさぼってしまう。

雨降ればつとめやすみて古本屋に歌集さがして一日を遊ぶ

五分間おくれてつきし古河電線門の扉はどつしり閉ぢをり

姉亡きあとは横浜南部の農家で作男として住み込むものの、まともに仕事もしない。いや出来ないのではない、やろうとしないのだ。
貧窮の中でも手放さなかったのは酒と煙草、そして短歌。
むしろ生活を捨てて、歌のみに生きたようにも見えてくる。
方代の歌は放浪の俳人、山頭火や放哉のように人口に膾炙していくだろうと、私は思う。

何のため四十八年過ぎたのか頭かしげてみてもわからず

力には力をもちてというような正しいことは通じないのよ

このようになまけていても人生にもっとも近く詩を書いている

赤子のような詩を書くひとがおりまして覗いてみると寝そべっている

貧乏な詩人が一人住みついて酒をたしなみめしは食べない

卓袱台の上の土瓶に心中をうちあけてより楽になりたり

こんなにも湯呑茶碗はあたたかくしどろもどろに吾はおるなり

空の徳利に盃をふせて遠くからながめていると夜が明けてゆく

自らの貧窮や孤独を歌っているのにもかかわらず、その筆致はどこか明るい。
暗い諦念や厭世観に苛まれていないように見える。
しかし本当の方代はどうだったのだろうか.....

おのずからもれ出る嘘のかなしみがすべてでもあるお許しあれよ

方代はほら吹きであった。
いや、ほら吹きでは意味が違うかもしれない。
自分の身の上や現在の境遇を語るとき、作家的虚構と(ちょっとばかりの)虚栄心の上で語られるのである。
歌のためには自分の過去を美化することも厭わないということである。
そして聞き手を喜ばせるべくの過剰なサービス精神の出現なのでもあろう。
それらはもうほら吹きの範疇を超えて、自分の人生そのものを歌の世界の虚構に利用したということなのではないだろうか.....

蓬髪、面妖な風体で奇行の目立つ人物である。普通の人なら忌諱しかねないような人物である。だが、方代のまわりには彼を支える人々が多くいたようだ。
彼が来るたびに小遣いを与える住職、彼の作歌の上の秘書役を買って出た人、自宅の庭に彼の住まいを用意した人などなど.....
どうやら歌の才能だけではなく、人に愛される何かを持っていた人なのだろう。

ここらあたりは相州鎌倉郡字手広艸庵の札下げて籠もりたり

齢57にして、ようやく鎌倉市手広に小さな庵を持つ。無論自分で建てたのではない、支援者の一人が自宅の庭にプレハブ小屋を用意してくれたのである。
それからが彼の奇行、作歌にも神韻を帯びるのだがそれはまた別の機会に書こうと思う。

彼の評伝を読みながら、ずっと考えていたのが太宰治との類似性だ。
過剰なサービス精神と読者に語りかけてくるかのような筆致。
自らの半生でさえ作品に利用してしまいながらも、どこか真実の吐露はしていない虚構性。
奇行を繰り返した魂の漂泊者であるとことも何か似ているような気がしている。
放哉、山頭火になぞらえる人も多いが自分は太宰治になぞらえて見たいと思う。

というわけで、しばらくの間、山崎方代という人を私的に研究してみようと思う。

ちなみに彼が鎌倉市手広で暮らす前に住んでいた横浜市戸塚区(現・栄区)田谷は、実家のほぼ近所である。
年譜を見る限り、彼とすれ違ったかもしれないという可能性はわずかにありそうなのである。そんなところも彼に興味を持った理由の一つかもしれない。

現在の田谷の風景。工場と建売住宅に囲まれたが、いまでも広い水田が残っている。



無用の達人 山崎方代 (角川ソフィア文庫)
田澤 拓也
角川学芸出版 ( 2009-06-25 )
ISBN: 9784043689033
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